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 神話的人物としての勝海舟
 
 
 
 
 
 
          
            
              | 歴史上の人物はかつて神話に登場した人物の影絵であり、その背後には高次の霊的存在
              が立っている。(シュタイナー『世界史の秘密』) 
 
 『海舟座談』には、こういう記述がある。
 
 
 この間の西洋人が祈ってくれたが、「あなたは、神様のお護りがあったのだ」と、まじ
              めに言ったよ。お世辞かしらと思ったら、そうでなかったよ。
 
 
 海舟は自分の母方(つまり勝家)が、物部氏の子孫であったことを誇りにしていたふし
              がある。彼は、あるところで、自分をさして、こう署名している。
 
 物部安芳
 
 勝海舟を深い愛情を持って描写してくれた司馬遼太郎氏は「勝家の家系には輝かしい点
              はひとつもない」というような趣旨のことをどこかに書いていた。勝家の養子として入
              ってきた海舟の父、つまり勝小吉の宗家の男谷家が、もともとは男谷検校という町人出
              の盲目の金貸しで(海舟にとっては曾祖父にあたる)、旗本の株を買って武士の名義を
              手に入れ----江戸時代はこのような小さな階級間の小門が一方で開かれていた事実は現
              代の日本人にはほとんど知られていないが----それで町人の息子が晴れて武士となるこ
              とができたのである。勝海舟の評伝を読むと、論者が勝家の血筋に言及することはほと
              んどまれで、大抵父方の男谷家について詳しく述べている。しかし、海舟にとっては自
              分は母方の勝家の子孫であることが大事だったのである。
 
 『海舟座談』の巻末に、もと海舟を殺そうとして海舟邸に足を運び、後に改心して末ま
              で海舟と交際した北岡文兵衛という人物の回想録が出てくる。その中のエピソードに、
              後年北岡氏が「何か古物のいいものがありますか、アナタの所のものは、ミンナつまら
              ないものばかりで」といったところ、海舟は「ナニある」と言葉を返し、その宝物を見
              せてくれた、という話が出てくる。北岡氏は続けてこう書いている。
 
 先祖が物部守屋だからといって、守屋の金の像をお見せになり、(P275)
 
 海舟の一番の宝物は「物部守屋の金の像」だったのである。海舟は自分の血筋が三輪の
              神たる饒速日尊(そしてさらに言えばその父素佐之男尊)まで連なると信じていたので
              ある。このことは海舟の内面に関連する重大な要素のひとつであるはずだが、私は、海
              舟と日本の古代の神々との心理的つながりについて書かれたものを今までひとつも読ん
              だことがない。誰もそんなことを考えようとしたことがないのである。
 
 彼の事跡をまとめた書物に『氷川清話』という題の本がある。書名の〈氷川〉とは、か
              つての武蔵の国の総鎮守たる氷川神社(埼玉県さいたま市)に由来する。海舟は、その分
              社たる江戸赤坂田町の氷川明神の裏手に住まい、生涯この神社を愛した。
 
 「氷川神社 古より武蔵の国一円に多くの分社を従え、中世には武人の崇拝も集めるが、
              勢力範囲は狭く、出雲系の神々を祀るなど創建にまつわる謎は多い。」
 
 氷川の神は誰なのだろう。それは奈良の三輪の神、すなわち饒速日尊(ニギハヤヒノミ
              コト)の父親たる素佐之男尊(スサノオノミコト)なのである。饒速日尊は物部氏の始
              祖である。
 
 
 このことはあまり知られていないことだが、明治維新がなって、帝都はある神の守護を
              受けていた。『歴史読本』(1990年1月号)には、こう書いてある。
 
 「明治天皇が東京遷都にともない(氷川神社に)参拝し、武蔵の国の総鎮守、帝都・東京
              の守護神と定めた。」
 
 明治天皇は、帝都の守護を素佐之男尊に託したのである。
 
 
 西洋人が海舟に「あなたは神様のお護りがあったのだ」と言ったとき----もちろん彼は
              西洋人だから耶蘇の神を想定してそう語ったのであろうが----その西洋人が、その神と
              日本という国家との間に、あるいはその神と勝海舟との間に、本当はどのようなイメー
              ジを想定していたのかは、文脈だけでは分からない。(ちなみに、カトリックの教義の
              中で、大天使ミカエルはイスラエルの守護天使、日本風に言えば〈守り神〉であった。
              だが、この大天使はヨーロッパの大航海時代に日本にやってきたひとりの外国人神父に
              より、もうひとつの国家の〈守り神〉となったのである。その神父フランシスコ・ザビ
              エルは、この日本という国家の守護をミカエルに頼んだ(祈った)のであった。それで
              今でもミカエルは日本の守護天使ということになっている。)
 
 
 『勝海舟』という小説を書いた子母沢寛氏は、この小説の中で以下のような奇妙な言葉
              を並べて載せている。
 
 十字架雲間にあり。耶蘇の神われを救ふを示すなりと。
 雲上に金の御幣を見る。金比羅神の我を護るなりと。
 
 「耶蘇の神」とはもちろんキリストのことだが、では「金比羅神」とは何だろう。実は
              この神は、大物主神つまり物部氏の祖神饒速日尊なのだ。子母沢寛氏はなぜこんなこと
              を小説に----しかも唐突に----挿入したのだろう。二柱の神の間には、まだわれわれに
              は明確には知られていない、ある連関の予感が横たわっている。それが子母沢寛氏の直
              感となって紙面に漏出したのであろう。(最近渡部昇一氏が盛んに日本の「本地垂迹
              説」をとりあげておられるけれども、この「結びの思想」が世界に現れなければ、依然
              として宗教は政治的紛争の理由づけの道具として地上の人間たちの、内に政治性を含ん
              だ言説の中で、「コメンテーターたちの気のきいた解説」のために利用され続けられる
              ことになるのだろう。だが肝心のその解説者たち自身は、その実まったくの唯物論者な
              のである。)
 
 子母沢寛氏の直感の表出は一種の暗示であり、〈神々の守護〉ということに関して、何
              らかの真理が語られた瞬間なのである。(01.09.17)
 
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 若き日の勝海舟
 
 
 
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