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神武天皇1




宮崎県日向市美々津港













2001年09月17日

001 神武天皇お舟出之地 立磐神社[日向市美々津](撮影01.09.09)


初秋、陰暦8月1日。夜明けにはまだ間があった。

立縫の里、美々津の浜。辺りは暗い。突然の大声。

起きよ、起きよ、みな起きよ。

さあ、ここから舟出しよう。

何か携える食べ物はあるか?

急なこととて何もありません。

それは困った。

それでは臼の中で、あずきと米をつきまぜて、つきいれだんごを作りましょう。
どうかこれをお持ちになってください。

それはありがたい。

どうかご無事で。

ありがとう。

さあ、いざ、ヤマトへ。

いざ、ヤマトへ。



2001年09月17日

002 御腰掛けの岩(撮影01.09.09)




イワレヒコノミコト(後の神武天皇)は、舟出の準備が調うまで、しばしこの岩に腰掛けて物思いにふけった。




今その岩には、しめ縄が張られ、周りには白い小石が敷きつめられている。








2001年09月17日

003 立磐神社拝殿 (撮影01.09.09)



古さびていてこじんまりとした拝殿。



向かって左手の影になっているところには小山があり、崖になっていて、その基には、不思議なメンヒルが立っている。



右手はすぐ耳川河口。






2001年09月17日

004 大メンヒル(撮影01.09.09)



高さは2メートルを超えていたと思われる。



これはいったい何だろう。そして何を意味しているのだろう。



立磐(たていわ)神社の名の由来は、このメンヒルに関係があるのだろうか?







2001年12月01日

005 岩窟前の石碑(撮影01.11.25)



大メンヒルの右隣に立つ、四角く加工された立石である。


この向こうに赤い小さな鳥居が立っていて、さらにその奥に小さな祭壇がしつらえてある。(004の写真の右奥参照)


この石の板にはなにごとか文字が彫ってあったが、いまのところ詳細は不明。







2001年09月17日

006 メンヒル全景(撮影01.09.09)




005の写真は画面右半分の板のような形の立石の前で撮られたものだったように思う。




実はメンヒルはもう一体存在する。画面の左側にもうひとつ。








2001年09月17日

007 小メンヒル(撮影01.09.09)




こちらも何なのかは不明。




手前にあるのは石塔の上部だろう。









2001年09月17日

008 御神木(撮影01.09.09)



御神木の根元は空洞になっていて、中に赤いミニチュアの鳥居が立っている。



その周りには〈御腰掛けの岩〉と同様に白い小石が敷きつめられている。



御神木の根元は直径1.5m以上、(いやもっと大きいかった)あったと思う。








2001年09月17日

009 御神木と岩(撮影01.09.09)




根元の空洞に小さな鳥居を持つ御神木を別の角度から撮ったもの。




手前の石畳を写真右方向に進むと、拝殿に行き着く。









2001年09月17日

010 巨大な石碑(撮影01.09.09)


〈日本海軍発祥之地〉を記念する石碑。

立磐神社の入り口に建っている。写真左側の森が立磐神社。

この碑は元は昭和17年に建てられ、昭和44年に再建されたものである。

神武天皇がはたして〈海軍〉と呼びうるほどの装備でヤマトに向かったかどうかは、個人的には疑念を持っている。

だからこの碑は、私にとって、神武天皇ではなく、在りし日の帝国海軍をしのぶモニュメントなのである。




2001年09月17日

011 「日本海軍発祥之地」碑(撮影01.09.09)

神武天皇御親率の東征水軍御発進の聖地

「日本海軍発祥之地」碑

建立・昭和17年(紀元二千六百二年)9月10日
復元・昭和44年(紀元二千六百二十九年)9月12日

建立・復元の経緯と碑文の由来

日本海軍は、天皇が統帥された海軍でありました。このことから国が、神武天皇御親率の水軍がはじめて編成され、発進した美々津の地を「日本海軍発祥の地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。碑文の文字は時の内閣総理大臣海軍大将米内光政閣下の揮毫により碑面に刻記されたのであります。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在のとおり復元されたのであります。

平成4年9月12日 「日本海軍発祥之地」碑顕彰保存会






2001年09月17日

012 御腰掛けの岩正面(撮影01.09.09)




002の〈御腰掛けの岩〉は、実はこんな風にして小さな鳥居と囲いによって守られている。




001の写真をよく見ると、二つの鳥居の間に、この小さな鳥居が見て取れる。








2001年09月17日

013 耳川河口(撮影01.09.09)




立磐神社境内から耳川河口を撮った。


ここはシーバス(スズキ)のよいポイントのひとつである。


宮崎県内の河川でもブラックバスの勝手な放流が生態系をこわすということで、各地の河川の漁業組合がバス駆除を行うテレビニュースが頻繁に流されている。


その点、スズキは古代から日本人になじみの魚でアングラーたちもこころおきなく釣りができるからよい。


熱帯魚マニアならご存じの、ナイルパーチのような姿をしたアカメは(幻の魚と言われているらしいが)宮崎県に住んでいる。


ルアーであがったという話は聞いたことがないが(かなり警戒心が強いらしい)、釣りマニアなら、ルアーならずとも一度はあげてみたい魚ではある。








2001年09月17日

014 美々津港遠景(撮影01.09.09)



この日は午前中少々曇っていた。時間的に太陽に向かって撮らざるを得なかった。

耳川河口を挟んで向こう側、ちょうど写真の中央辺りが、〈日本海軍碑〉と〈立磐神社〉(ここからは黒い森になって見える)が、ある場所だ。

旧暦8月1日に、人々はこの港で、〈神武天皇のお舟出〉をしのんで、〈おきよ祭り〉と呼ばれるお祭りを行う。

今でも、〈お舟出の日〉になると、各家庭で、神武天皇が舟出に際して携えた〈つきいれだんご〉を作っている。

ところが、〈その日〉、呼びかけに応じて目を覚まさなかった住民の子孫の家は、だんごを作らず、だんごは近所からもらわなければならない。

今では〈つきいれだんご〉は、観光用の品として〈御船出だんご〉として、お店でも売られてもいる。

〈舟〉という漢字の使用についてだが、地元では〈舟出〉という文字を用いている。だんごの商標名には〈船出〉が使われている。〈舟〉なのか〈船〉なのか...ここに真実のヒントの一部が隠されているように私には思われる。

戦後、ほとんどの大学の歴史学の先生が神武天皇の実在を疑う立場についた。

しかし、美々津の人々は、千数百年にも渡って、〈実在しない人物〉のためにお祭りをしてきたのではない。

〈彼〉は確かに実在する。





2002年11月24日

015 旧日本海軍の錨(撮影02.11.24)
旧日本海軍の錨である。

011「日本海軍発祥之地」碑の右隣に新たに設置された。間近で見ると、かなり大きな錨なのだが、写真ではあまり実感できないかもしれない。


地元夕刊紙に載った記事は以下のとおり。

美々津に旧海軍の錨 海上自衛隊が貸与

昭和十七年に製造され横須賀基地に保管展示されていた錨(いかり)が日向市に無償貸与され十八日、美々津町の耳川河畔「日本海軍発祥之地」記念碑前で設置除幕式があった。除幕式は自衛艦日向協力会(江川恵之助会長)が主催し、十九日からの日向灘の掃海特別訓練のため寄港した掃海隊の河村雅美掃海隊群司令と隊員百人が参加した。錨は重さがニトンあり、戦後の昭和二十七年に海上自衛隊に移管されて以来、海上自衛艦隊司令部前に展示されていた。日向市が神武東征伝説にまつわる海軍発祥の地といわれ、現在は隊員の休養と物資補給のための寄港地にもなっていることから今回の無償貸与となった。江川会長は「錨と記念碑の建立時期が同じということにえにしを感じる。大切に守っていきたい」と謝辞を述べた。河村群司令も「海上自衛隊五十周年の年に日向の地に展示されることを意義深く感じており、末永く見守ってほしい」とあいさつ。河村群司令ほか江川会長、山本孫春市長らが除幕して祝った。(02.11.21夕刊デイリー)