古代日本正史3


原田氏が疑問を持ったのは、現在の伊勢皇大神宮は、日本書紀以前にはあまり参拝され た形跡がないという事実でした。どうして天皇は大和におられるのに、皇大神宮を大和 に祀らなかったのか。日本書紀以前に天皇家が参拝していたのは、大和の石神(イソノ カミ)神宮、大神(オオミワ) 神社、大和(オオヤマト) 神社、それから和歌山県の熊野 本宮、京都の加茂別雷(カモワケイカズチ)神社、大津の日吉神社の六つでした。そこで 原田氏はこう言います。

「この皇城の地大和を中心にした六大神社には一体、誰を祀っているあるのか。天照大 神ではないもっと偉い人が居たらしい。どうも代々の天皇が参拝されるほど特別に偉い 人が歴史から隠されているらしい。この人を掘り出し、探し出すことが日本歴史解明の 鍵である。その手ががりがこの六大神社である。ここに誰が祀られているか、それが判 明すれば、日本古代の歴史が解明できる。そういう考えで調べはじめた。」(P165)

実際私たちが神社にいっても、その祭神名が本当は何を意味しているのか一般の人には 分からないでしょう。ここでその六大神社の祭神名をあげてみます。

1大神神社(奈良県桜井市三輪町)

大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)
大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)
少彦名神(スクナヒコナノカミ)

2石上神社(奈良県天理市布留町)

布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)
布都斯御魂大神(フツシミタマノオオカミ)
布留御魂大神(フルノミタマノオオカミ)
五十瓊敷入彦大神(イニシキイリヒコノオオカミ)
宇摩志麻治命(ウマシマチノミコト)
白河天皇
市川臣命(イチカワノオミノミコト)

3大和神社(天理市新泉町)

日本大国魂大神(ヤマトオオクニタマノオオカミ)
八千矛大神(ヤチホコノオオカミ)
御年大神(ミトシノオオカミ)

4熊野本宮(和歌山県本宮町)

家都御子大神(ケチミコノオオカ)

5加茂別雷神社(京都市北区上加茂本山町)

加茂別雷神(カモワケイカズチノカミ)

6日吉神社(大津市坂本本町)

大山咋大神(オオヤマクイノオオカミ)
大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)

ご覧の通り、代々の天皇が一体誰を参拝してきたのか名前を見ただけでは分かりませ ん。意図的な操作改変がこれらの神名のほどこされているからです。そこで原田氏は日 本中の神社を調べてまわりました。この経緯については実際の本にあたっていただきた いのですが、その結果何が分かったか、もう一度六大神社の祭神名に直して載せたいと 思います。

1大神神社(奈良県桜井市三輪町)

大物主大神=饒速日尊
大己貴大神=大国主尊
少彦名神

2石上神社(奈良県天理市布留町)

布都御魂大神=素佐之男尊の父
布都斯御魂大神=素佐之男尊
布留御魂大神=饒速日尊
五十瓊敷入彦大神(イニシキイリヒコオオオカミ)
宇摩志麻治命=饒速日尊の長男(物部氏の祖)
白河天皇
市川臣命

3大和神社(天理市新泉町)

日本大国魂大神=饒速日尊
八千矛大神=素佐之男
御年大神=伊須気依姫(饒速日尊の末子相続者)

4熊野本宮(和歌山県本宮町)

家都御子大神=饒速日尊(他に=別雷神=雷大神=大雷公)

5加茂別雷神社(京都市北区上加茂本山町)

加茂別雷神=饒速日尊

6日吉神社(大津市坂本本町)

大山咋大神=全国の日吉神社の祭神が饒速日尊と差し替えられた
大己貴大神=大国主尊

このように六大神社に共通して祀られていた偉大な大和の大神の祭神名が判明しまし た。それは饒速日尊だったのです。出雲から大和に入り、最初の大和の大王になった人 です。この神様が、7、8世紀の政治的宗教的激動によって、日向の女王だった卑弥呼 (大日霊女貴尊)に天照大神という名前を譲り渡すことになったのでした。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)=大日霊女貴尊
天照大神(アマテラスオオカミ) =饒速日尊

二柱の祭神名をよく見比べてみましょう。のちの時代になって「大」と「神」の間に挿 入されて用いられるようになった「御(み)」の文字こそ、女性神として、饒速日尊か ら大日霊女貴尊を区別するために用いられるようになった符牒だったのではないでしょ うか。