柿本人麻呂
梅原猛氏は1981年に出した自分の著作集のひとつでこんなことを述べている。
古事記を現代語に訳しつつ、この原-古事記制作に柿本人麿がかかわっている のではな
いかという疑惑をどうしようもなかった。柿本人麿が、少なくともその編集者の一人と
して加わっているのではないかということは、表記的にもまた内容的にも、きわめてあ
りうべきことであろうと思う。(集英社 梅原猛著作集8『神々の流竄』P15)
私もおおいにあり得ることだと考えている。
スサノオノミコトは『古事記』において和歌の発明者とされているが、はたしてあの歌
を本当に詠んだのは誰だったのか。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
この歌の本当の作者は、柿本人麿ではないのか。
梅原猛氏は『水底の歌』で、人麿流罪水死刑説を唱えているが、なぜ人麿がそれ ほどま
でに過酷な刑罰を受けねばならなかったかについては、ついに明確な解答を出せずに今
日に至っている。
人麿は政治犯とされたのである。
梅原氏は、現在伝わっている現-古事記に先行する原-古事記に人麿が関わったに違いな
いと考えている。
現-古事記には、サルタヒコが水死する話が出てくる。猿の名と水死は、実は人 麿につ
いて語られる伝説の中に頻繁に登場するイメージなのである。
現-古事記のサルタヒコの話は、「人麿という政治犯に対して何が行われたか」 を、人
麿の反逆以後、中断状態だった原-古事記の編集を受け継いだ人々が、「人麿はこのよう
にして口を封じられたのだ」と、当時の人々にそれとなく暗示したものだったのではな
いか。
以下参考までにその箇所を現代語訳で紹介する。読者はこれをどう判断される だろう
か。(なお神名はカタカナ表記にしている。)
そのサルタビコノカミがあざか(地名)にいらっしゃったときに、漁をしていて、ひらぶ
貝に手をはさまれて、海にお溺れになった。(中略) そこで、アメノウズメノミコトは、
サルタビコノカミを送って笠沙の岬に帰って来ると、すぐに大小さまざまの魚たちをす
べて集めて、「おまえたちは、天つ神の御子にお仕えするか」といったときに、多くの
魚はみな、「お仕えしましょう」と申したが、その中でなまこだけは、そうはいわなか
った。 そこで、アメノウズメノミコトは、なまこに、「この口はものをいえない口だ」
といっ て、紐の付いた小刀で、その口を裂いた。それで、いまでも、なまこの口は裂け
て いるのである。(学研M文庫 梅原猛 古事記 P69-P70)
柿本人麻呂という人は、最初中央政府のために原-古事記の制作編集に協力し ていが、
改変され創作された神話の政治的虚偽性に耐えられなくなってしま たのではないか。
「柿本人麻呂歌集の歌に曰く」と題して、『万葉集』巻13に、このような歌が載って い
る。
葦原の水穂の国は、神ながら事あげせぬ国 しかれども ことあげぞ吾がする 言幸く
真福くませと つつみなく福く座さば 荒磯浪 ありても見むと 百重波千重浪に
敷き 言あげす 吾は 言あげす吾は
反歌
しきしまの 倭の国は 言霊の たすくる国ぞ 真福く在りこそ
柿本人麻呂は「何を言挙げしたのか」……文献的にははっきりしない。しかしその言挙
げ行為とその告発の中身こそが、中央政府が彼を流罪水死刑に追いやった原因だったの
ではなかろうか。
※「ひとまろ」の漢字表記は、「人麿」「人麻呂」併記とした。
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