日本海軍の創始期
あのころには、幕府も浪人も、口をそろえて海軍の必要を論じたけれども、しかし軍艦
は、どうして製造するのか、金はどれくらい入用なのか、また乗組員はどんなことをす
るのか、いっこうにだれもわからないのさ。
しかし、とにかく海軍は必要であるということだけは気づいたから、それでおれなどを
長崎へやって、オランダの海軍教師のヘルセレーキという人につけて、海軍術の研究を
さしたのだ。
そのころの海軍術も、今日の海軍術も、原則においては少しも違わない。航海術、運用
術、機関術、算術など六課目ほども毎日勉強させられたのだ。天文学なども、むろん勉
強したよ。それにみんな横文字でやるのだから、おれのように前から蘭学をやっていた
ものは都合がよかったけれど、漢学ばかりやっていたものが多かったから、なかなか骨
が折れたよ。
とにかく二年でひとまず卒業するはずだったが、おれは都合六年もおって新入生を教授
したりなどしたから、かなりに技倆をやしなうことができた。そのころまた長崎のほか
に(江戸の)築地でも海軍所を建てて、列藩の子弟を教育しておったが、これらがまず
日本海軍の基礎となったのさ。(勝海舟『氷川清話』角川文庫P26-27より)
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