神武天皇と美々津伝説

(雑誌『サライ』93年 3/4号 「江戸を歩く」より抜粋)

美々津といっても、町の名前を知る人はおそらく少ないだろう。けれど、この美々津 は、記紀が伝える第一代の天皇、神武天皇にまつわるこんな伝説とつながっているので ある。

昔々のことであった。カムヤマトイワレヒコノミコト、つまり、後の神武天皇だが、彼 は、兄たちと九州高千穂の宮から海のある日向に出た。その日向から船で東国の本州に 渡ろうというのである。彼らはまず木を切り、船を造った。それから風や潮の流れを調 べながら、東国へ船出する時期をうかがっていた。風は凧で調べ、潮の流れは小舟を出 して調べた。その結果、船出の予定日は、8月2日(旧暦)と決まったそうだ。ところ が、その前日の夜中の2時半頃であった。潮と風のあんばいが、にわかに良くなったの である。それで急遽船出を決定し、皆を起こすことになったという。「おきやい、おき やい」そんなふうに声をかけて美々津の家々を廻ったという。

その後、一行は、海を越え、東国へ向かい、幾多の戦いを経て大和を平定した。諸兄は その間に他界。生き残ったカムヤマトイワレヒコノミコトが初代の天皇になった----こ れがいわゆる神武東征、あるいは神武東遷といわれる話である。(中略)

(美々津町の)各家の郵便受けには、古代の船の飾りがついていて、伝説の港町らしく はあるのだが、他にはこれといったものはなく、「眠れる塩錆びた港町」という以外の 感想は浮かばない。気分直しに、名物のだんごでも買おうと思ったが、それらしい店も 見当たらない。喫茶店もなければ食堂もないのだった。

だんごとは、名物の「つきいれだんご」のことである。美々津では、旧暦8月1日が 「おきよ祭り」の日。その日の深夜、土地の子供たちは、短冊をつけた笹の小枝を持っ て、「おきよおきよ」そう声をかけ、各家を賑やかにまわるそうだ。祭りの前日には、 小豆と米をつきまぜて黒砂糖で味付けしただんごをつくる風習があり、「つきいれだん ご」と呼ばれている。伝説によれば、「つきいれだんご」は、神武天皇船出の際の急ご しらえの食糧であったといわれているのである。(中略)

なんとも嬉しかったのは、黒木氏から歴史の証人として紹介された「旅館ときわ」のご 隠居、今年(93年当時)91歳の黒木ツネミさんから話を聞けたことであった。ツネミ さんは、私たちが泊まったときわ旅館の数軒先に一人でお住まいであった。

「私は美々津弁だけど、ようござんすか」おじゃますると、91歳のツネミさんはそう おっしゃってから、本式のコーヒーを入れつつ、はっきりとした口調で話し始めたの だ。最初はだんごの話であった。

つきいれだんごは、神武東征にまつわる美々津の風習だが、すべての家がつくるのでは ないそうである。

「お船出のとき、おきよ、おきよと騒いだら、起きないウチもござんした。その家はつ くりません、はい、そうですとも、ウチは起きなかった家でござんしてねえ。そういう ウチは、近所からもらうとです」

コタツにあたりながら、「つくらない家もある」という話を91歳のツネミさんから聞 いていると、遥か昔にこの美々津から船出したという神武伝説も、なかなかにリアリテ ィーを帯びてくる。