天安門事件柴玲インタビュー


天安門広場の流血事件はもう目前にせまっていた。その恐ろしさを予感した一部知識人 たちは、「学生たちの命」を助けるべく、天安門広場に集まった彼らに撤退するよう説 得にきたが、「この事件を計画した学生首脳部」はそれを拒絶した。北京大学の女学 生、自称「司令官」柴玲が広場に集まった学生の群れに向かって拡声器を通して叫ぶ。

李鵬の非道な政権を倒しましょう!

柴玲は広場からの撤退案をみごとに退け、天安門にとどまる決意をさらに固めた。天安 門広場に残った多くの学生たちが、自分たちが信頼していたはずの「指導部」が自分た ちを「血の生贄」にしようと「空想」していたことを知らなかった。(以下のインタビ ューはDVD『天安門』からの抜粋である。)

翌日柴玲は米国人記者カニンガムの質問に答えてこう語っている。

近頃とても悲しいのです。学生は民主化の意識が欠けています。ハンストを決めた日か ら、結果は出ないと分かっていました。挫折していった人たちもいます。すべて分かっ ているんです。でも弱みは見せられない。目指すは勝利だと言わないと、でも心の奥で は空しかった。のめり込むほど悲しくなって4月からずっとそうです。でも胸に秘めて いました。中国人の悪口は言いたくないけど、時々はこう思わずにはいられません。あ んたら中国人のためになんで私が犠牲になるの! だけど運動を通して、すぐれた人に も大勢会いました。立派な学生や労働者や市民や知識人たちに。

学生はいつも「次は何をする?」と言います。私は悲しくなります。目指すは「流血」 なんて誰が言えます?政府を追いつめて人民を虐殺させる。広場が血に染まって初めて 民衆は目覚める。それで初めて一つになれる。これを学生にどう説明するんです?すご く悲しいのは一部の知られた学生が政府のために働いたこと運動の崩壊を企んだこと私 欲にかられて政府と取引し、運動をつぶそうとした。政府が事を起こす前に撤退を企ん だのです。運動の崩壊を許せば、政府は次に運動の指導者全員をつぶします。党の指導 者や軍隊の指揮官ら人民のため党に背いた人々をケ小平はつぶします。党や社会の少数 の反乱分子だけでなく、学生たちまで。そんなこと同志の学生にとても言えない。人民 を立ち上がらせるために、我々の血と肉が必要だなんて。学生は喜んで死にます。でも あんなに若いのに。

あなたは広場にのこりたい?

いいえ。

なぜ?

私は司令官でブラックリストに載っているから。政府に殺されたくはありません。私は 生きたい。人は私を自己本位だと言うかもしれない。でも誰かが私に続いてくれる。民 主化運動は一人ではできません。

録音を終えた柴玲(チャンレイ)はテープを外国に持ち出すよう記者に頼み、今から北 京を離れ地下に潜ると言い残した。

(管理人抹茶の補足)

柴玲はしかし、辞任(脱出)をほかの指導部の仲間に止められてしまい、結局その場 (天安門広場)に留まり、事件当日、「自分の空想」が現実になるのを目撃する。DVDの 巻末情報によれば、彼女は1990年、中国を脱出。フランスのパリを経て、今はアメリカ のボストンに住んでいるはずである。学生たちを助けにきた知識人たちは「ミイラとり がミイラになった」のたとえのごとく、それぞれ当局に逮捕され、数年ずつ囚人の身と なるのを耐えなければならなかった。


知識人呉国光のインタビュー

この10年間少しはヒビが入ったが、毛の作ったモデルはまだまだ崩れていない。数千 年の間中国人は理想のために戦い、血を流し続けてきた。戦いが終わるたびに新しい悲 劇が生まれた。中国に理想はある。ないのはそれを実現する手段だ。「ゴールに」到達 するために必要な知識だ。ないのは心じゃない。頭、つまり知性だ。文革の時にはただ 一個毛沢東の頭だけ。毛の死後、何億もの頭が機能し始めた。頭は胃より治すのが難し い。