植芝盛平先生御口述
合気道主 植芝盛平(名乗・常盛)先生御後述
宇宙創造神
大元霊大天主大神
宇宙建国完成につれての
合気道(神代の実現として)
綱領
一、合気道は 宇宙万世一系の理想
一、合気道は 天授の真理。言霊の妙用
一、合気道は 天地人和合の道と理
一、合気道は 万有各自の適宜の処理
一、合気道は 宇宙弥栄の無限大の完成への御経綸上、人類としてのみそぎのつとめ
(大本の道)
信念
一、合気道は、宇宙建国完成の精神の大道たることを確信する。
二、地上天国楽土の実現、世界平和実現のため、合気道を以て奉公の遂行たることを確
信す る。
序論
第一章 神
私の守護神は、速武産(はやたけむす)の大神である。守護神と私との身体は、血脈
あいむすんでいる。そこに合気の使命がむすばれているのだ。
はやたけむすの大神の御はたらきの現れを天の叢雲九鬼さむはら龍王大神とよぶ。
天の叢雲とは、宇宙の気、おのころ島(宇宙、世界)の気、森羅万象の気を、つらぬ
いていぶくことをいう。
九鬼とは、おのころ島(宇宙、世界)に発生したすべての物の原子。即ち造物主の使
命達成のために現れた九星(一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九
紫)の気である。
いざなぎの命、いざなみの命の島生み(星や地球の発生)神生み(人祖のはじまり)
の気も、すべてこの九鬼よりはじまる。
さむはらとは、宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどすことい
う。日月星辰も、人体もことごとく気と気の交流(原子の結合)の結果生まれたもので
あるから、世界の気、宇宙の気を調整しなければ、やがては邪気を発して、風害、水
害、火災、戦争、病気、飢餓がおこる。
このすべての邪気を、天授の真理によってみそぎして、地上天国の極楽浄土を建設す
ることを、さむはらという。
私はこれを、正しい意味の武道とよんでいる。
「この意義をよく考え思うべし、この守護神によりて、汝に武産(たけむす)の使命を
気結(けむすび)されたるなり」。
第二章 武
私は、十五歳の頃から武道に志し、諸国の剣道柔道の師を歴訪した。そして、どの流
儀も二、三カ月でその極意を会得してしまった。
しかし、自分の意にみつるような武道の神髄を伝授してくれた人は一人もなかった。
そこで、数々の宗教の門をたたいたが、ここでも具体的な答はだされなかった。
その後、大本教の出口王仁三郎聖師のもとで十年間下座の行を修めた。その間に教団
の決められた講義は特別に受けなかったが、聖師の側近に座って、お話を聞いているだ
けで、何か交流するものがあって、種々と自然に私自身の中に入っていた。
ところが、たしか大正十年の春だったと思う。私が一人で逍遥していると、突然、天
地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄
金体と化したような感じがした。
それと同時に心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造さ
れた神の心が、はっきり理解できるようになった。
その瞬間は、私は「武道の根源は、神の愛----万有愛護の精神----である」と悟り得
て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。
そのとき以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じ
るようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝は勿論のこと、強くなろうという執着も一
切なくなった。
武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、原子兵器などで世界を破壊
に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅
万象を正しく生産し、まもり育てることであると、私は悟った。
すなわち、武道の鍛練とは、森羅万象を正しく産み、守り、育てる神の愛の力を、我
が心身の内で鍛練することにあると、私は悟った。
大天主皇大御神(もとつみおやすめおおみかみ)の「愛」の心から、光と熱がほとばし
り出て、偉大なる力を生ずる。この大神の御はたらきが、すなわち武産(たけむす)で
ある。
これを速武産大神(はやたけむすのおおかみ)ともよぶのである。
この速武産大神こそ、大天主皇大御神の「愛」の御はたらきの現れとして、大宇宙の
森羅万象を産み出す現象そのものであり、同時にまた、大宇宙をも破壊し得る力をもつ
原子の活動そのものである。
また、この武産(たけむす)の武道こそ、天地人和合せしめる神の愛の大道なのであ
る。
「合気」という言葉は、昔からあるが、「合」は「愛」に通じるので、私は、自分の
会得した独特の道を「合気道」とよぶことにした。したがって、従来の武芸者が口にす
る合気と私のいう合気とは、その内容が根本的に異なるのである。
第三章 技
合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる
道である。神の愛の大精神、宇宙建国の御はたらきの分身、分業として御奉公する道で
ある。
合気道の極意は、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させるこ
とにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹の中にあり、「我は即ち宇宙」
なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。
如何なる早技で、敵がおそいかかっても、私は破れない。それは、私の技が、敵の技
より早いからではない。これは早い、遅いの問題ではない。はじめから勝負がついてい
るのだ。
敵が、「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとし
ているのだ。すなわち、私と争うという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに敗れてい
るのだ。
そこには、早いとか、遅いとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。
この時間を超越した早さを、正勝吾勝勝速日(まさかつあかつかつはやび)という。
正勝吾勝勝速日とは、神の愛から生まれた、いほつみすまるのたま(永遠に栄えつた
わる魂−いのち)と同化することである。神のその御はたらきをさして、古事記では、
天照大御神の御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかつはやびあめのおしほ
みみのみこと)と尊称している。
合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っていたのだ。
邪気のある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。
では如何にしたら、己れの邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和
することができるか?
それには、まず、神の心を己れの心とすることだ。神の心とは何か? それは上下四
方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。
神の心と一致しない人間は、宇宙と調和できない。宇宙と調和できない人間の武は、
破壊の武であって、真の武産(たけむす)ではない。
だから、武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武は正勝吾
勝勝速日(まさかつあかつかつはやび)であるから、如何なる場合にも絶対不負であ
る。
勝つとは、己れの心の中の「争う心」にうちかつことである。神よりあたえられた使
命をなしとげることである。
第四章 言
これまでも、神の愛を説いた宗教家や、哲学者は数限りなくある。しかし、それに耳
をかす人は少なく、それに反抗して、破壊的な武力をもって争う人間の方が、かえって
勝利をえてきた。
それは何故か? 今までの宗教家や哲学者は、ただ口さきで「神の愛」を説くだけ
で、
一、己れの心を、宇宙万有の活動(すなわち、神の心)と調和させる鍛練
二、己れの肉体そのものを、宇宙万有の活動と調和させる鍛練
三、心と肉体を一つにむすぶ言語を、宇宙万有の活動と調和させる鍛練
の三つを、同時に兼ね行なうことを、おこたっていたからだ。
心を宇宙万有の活動と調和させるためには、当然その心を表現する言語も、宇宙万有
の活動と調和しなければならない。すなわち、「言葉は神と共なりき」の状態におかな
ければいけない。
そして、その言葉を、宇宙万有の活動と調和させるためには、その言動と調和した肉
体の活動がなければならない。
私は肉体の鍛練を主眼とする、いわゆる武道を修行し、その極意をきわめ、武を通じ
て、宇宙の神髄(すなわち、神の心)を掴みえたとき、はじめて、人間は、「心」と
「肉体」と、それをむすぶ「言語」の三つが、完全に一致して、しかも、宇宙万有の活
動と調和しなければいけないことを悟った。
私のいう「ことだまの妙用」とは、すなわち、そのことをさすのである。
「ことだまの妙用」によって、個人の心と肉体を調和し、また、個人と全宇宙との関
係を調和するのである。
もしも、ことだまが正しく活用されなければ、その人間の心も、肉体も不健康になる
ばかりでなく、やがては世界が乱れ、全宇宙が混乱するもととなるのである。
ゆえに、これから私が指導する通りに、心と肉体と言語の三つを、正しく宇宙万有の
活動と調和させる鍛練をすれば、肉体は健康になり、心は明朗になり、宇宙の真理がお
のずから理解できるようになり、この世の中のすべての不合理、不明朗な問題を、こと
ごとく解決して、全世界を一大平和境と化することもできるのである。
合気道は神の道である。合気の鍛練は神業の鍛練である。
しかし、如何にその理論をむずかしく説いても、それを実行しなければ、その人は、
ただの人間にすぎない。
合気道は、これを実行してはじめて、神の力が加わり、神そのものに一致することが
できるのである。
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